11月10日 (水)  疵(きず)を嫌うこころ

古い陶器の収集を趣味にする人がいました。

ある日、この道の先輩と一緒に、古い道具を売る店を何軒か歩いていました。
すると、ある店で青磁の花瓶の佳品をみつけました。
値段も手ごろだからと、先輩は求めたらよいのでは、と勧めてくれました。

けれどもその人は、小さな疵が気になって買いませんでした。

それでは、と先輩は自分で買い求め、良い買い物をしたと喜びました。
「疵のない花瓶がほしいのであれば、新しい物を売る店に行けばいくらでも
手に入るもの。趣のあるものを求めるのであれば、物の形や釉(うわぐすり)
の色など、その面白みに惹かれるのであって、疵の一つや二つあったところで、
気にならない」と、先輩はいいました。

陶器そのものを愛する心の深さが問題であって、愛する豊かな情(こころ)が
そのものの良さを見抜くと先輩は悟しました。

私も、人の欠点が気になります。

しかし、自分を含め、疵のない人はいません。
みんな疵の茶碗、かけ徳利の集まりです。
本当に人を愛する優しい心がなかったら、この人生何のおもしろみがありましょうか。